館長の訃報は識阿の病室で聞いた。
「死んだのか。」
「はい。深夜頃に首を切られたとか。」
「商人にとっちゃ屈辱な死に方だね。」
「犯人は逃走中の様です。お気を付けを。」
 もう一人の使用人は其れだけ伝えると病室から出て行った。
「参ったな。きっと桔梗だろうね。」
「そうでしょう。葬式には参列しない方が宜しいかと。」
「何故。葬式位は大事にしなくっちゃあ。」
「桔梗が貴女を捜すかも。」
「……ああ、そういう事か。 」
 みょうじは椅子の上で足を組み替えた。何時もはこういった冠婚葬祭に出向かないとうるさい筈の識阿だったが、みょうじはそれで納得した。
 何処かばつが悪そうな顔をして言う。
「マ、君が言うなら止めておくかな。」
「隠れる心算は無さそうですね。」
「参列しないと言ってるだろ。」
「いいえ。貴女は見付かっても構わないと思って居る。」
 みょうじは沈黙した。
「殺される心算ですか。」
「イヤ? そんな事はない。唯、見付かったら殺されるとは思っているね。」
「了承しているではありませんか。」
 みょうじは久しぶりに笑った。
「そうかもね。」
 その顔を見て、識阿は突如として取り返しも付かない恐ろしさのようなものを味わった。目を恐ろしくして、言う。何時にも増して声が硬い。
「死んでも、一目惚れの彼には逢えません。死んでいるかも分かりません。」
「そうかもね。」
「馬鹿らしくありませんか。身ごもった貴女を置いて行った男の帰りを待ち続けるのは。」
「そうかもね。」
「止めて終いなさい。そんな事は。もう何も無いのです。貴女には何も無い。私と一緒です。貴女には帰る場所も行く先も何も無い。」
「そうかもね。」
「なら捨てて終いなさい。そして留まるのです。貴女は何処へも行く必要はない。」
 遂にみょうじは何も喋らなくなった。頭がしんとしてしまったのだ。何も無い。
 何も喋らなくなったみょうじを前に、識阿は祈るようにみょうじの手を握った。実際、祈っているのかも知れない。
「貴女の虚を埋める人なんて、居ないんです。」
 みょうじはやっと識阿を見た。しかし矢張り、見ては居なかった。
「腹が空いたね。」




 花を摘んだのは男だった。みょうじより歳上の男で、彼は制服姿のみょうじに簡単に手を出した。その頃みょうじは性行為のやり方も分かって居なかった。何もかも、其の男が教えたのだ。
 出逢いから数日程で身体を重ねた。その結果出来たのが長女であった。身ごもった後心中未遂をして、川から無事上がったのはみょうじだけであった。そこからみょうじの虚が生まれた。今もずっと育っている。
 みょうじはふらふら夜を歩いた。嵯峨鼠色の外套を揺らしながら、何んの歌でもないぐちゃぐちゃの鼻歌を歌っていた。何か喋って居るようにも聞こえる。若し其れが意味の有る言葉だとするなら、其れは全て初恋の人へ向けた言葉だろう。
 家へ着くと、玄関の隅に桔梗が居た。割箸で作った十字架だけ持っている。
「お帰り。何時から居たの。」
「ずっと。」
「そっか。寒いでしょう、入って。」
「はい。」
 みょうじは鍵を開けると、サッサと這入ってしまった。桔梗もそれに続く。みょうじが外套を脱ぎ去ると、桔梗は後ろからみょうじを抱き竦めた。みょうじの股、胸元に腕を伸ばしている。
みょうじ様……。」
「貴方はそうは呼ばなかったでしょう。」
「では、名前を。」
なまえ……。」
「嗚呼、やっと……ぼくはやっと聞けました。」
「ぼく?」
「俺ですか。」
「いいえ。わたしと一緒。」
「分かりました。」
 みょうじは自ら服を脱いだ。桔梗は其れを熱に浮かされた瞳で見つめる。
「久しぶりに抱いて。」
「善いですよ。私もそうしたいと思っていた。」
「嗚呼、好き、好き……。」
 いよいよ桔梗はみょうじを絡め取った。みょうじの顎を上にして沢山のキスを落とした。自分の唾液をみょうじに飲み込ませる。同時にみょうじの胸を弄った。
「ン。ア……。」
「此の胸で、子供を育てたんでしょう。」
「ン。ウン……。」
「私も吸って善いですか。」
「好きにして……。」
 桔梗はみょうじの背中を壁に押し付けると、みょうじの腰を抱いて胸を貪った。歓喜と劣情の涎を滴らせて、赤子のように乳首を吸った。其の温かい唇が動く度、みょうじはビクビクと震えた。
「嗚呼、嗚ア……。」
 みょうじは必死になって桔梗に縋り付く。桔梗には其れも歓喜だった。そう、歓喜。歓喜。歓喜。歓喜。
 桔梗はこの頃指名手配されていた。この街に異国人は多く居るが、桔梗の珍しい瞳では直ぐに見つかるだろう。だから桔梗は此処へ来た。もう外へは出られぬ桔梗は此処へ閉じ込められる。他でもないみょうじの手によって。そうしてこの館の一室で、みょうじによって育てられるのだ。桔梗を孕むみょうじの子宮は完成した。
 紛れもなく、桔梗はみょうじの子供に成ったのだ。